【ひとりごと】就職氷河期世代としての回顧録①

現在の若い方には縁のない話であるが、最近仕事で思う事があり、ここに当時の様子を記録しておく。

このブログを記録しているのは2018年11月24日。筆者の生まれは1977年、就職したのは2001年、就職活動をしていたのは2000年である。
大学に入学したのが1997年(筆者は1年浪人)、よって就職活動をしていた時期が2000年である。

筆者が大学に入学した頃、既に世間の景気は非常に悪かった。そのため、大学生になりたての頃、「俺たちが卒業する頃にはもう景気も良くなっているだろう。」と、何の根拠も無い事を仲間内で言っていた事を覚えている。

ところがどっこい、そのまま景気はずっとステイ、よくなるどころかむしろ悪化していった時期である。

2000年はただの氷河期ではなく、「超氷河期」として一部のサイトでも記録されているが何せこの頃の就職活動が半端なく大変だった。当時の筆者のスペックを確認してみよう。

1.当時のスペック

①公立の大学(偏差値低め)4年制

②文系(経済学部=何もしない学部

部活履歴ゼロ、大学内に友人と言える友人はいない

留学経験無し

⑤特定の資格なし

⑥ボランティア活動経験など、社会活動経験無し

⑦アルバイト経験多数 ただし肉体労働系オンリー

⑧酒が1滴も飲めない。

⑨基本的にアスペ気質、他人への気遣いが面倒

⑩新聞も読んでない。社会の仕組みもよく知らない。

見たか、この低スペック。

これで超氷河期の真っただ中へ突っ込んで行ったのである。現在でも別の意味で十分通用する(=しない)低スペックである。我ながら恥ずかしい経歴である。世間知らずも甚だしい。

この時までの緩慢さが後に就職活動の地獄、そして就職してから数年間、社会人での地獄生活に繋がるとは当時夢にも思っていなかった。

2.どんな時代か

これは今でも感じるが、筆者の世代は本当に時代に恵まれなかった。しかも未だに置き去りにされている世代である。

「今更、氷河期時代の人間、救えねぇよ自己責任だろ」と、某掲示板等で書き込む人も多いが、そうではない、あの時代は本当に救われなかったし、その後救われる方法が乏しかったのだ。

しかも人数的には結構多い年齢層である。実は最近言われている「少子化」は、筆者の世代が満足に結婚して子供をもうける事が出来ていない事が一因と言われている。

本来であれば一番働き盛りで、子育てに追われているはずの世代なのだが基本的に何もかも置いてけぼりと言った感が拭えない。それはそうだろう。非正規の給料で果たしてどうやって結婚してこどもを育てる事ができようか。とてもじゃないが無理だ。自分自身が食べて生きていくので精いっぱいなのだから。

時代が良くなるのはこのあと約7年も後である。 

3.当時の就職活動方法は?

今の就職活動学生にとっては当然のツールである「ウエブ上でのエントリー」であるが、実は2000年が始まりの年であることはあまり知られていない。リクルートの「リクナビ」が開始された年である。

まだ始まったばかりであったため、まだまだ「紙の応募」が一般的であった。

やり方としては、企業もしくはリクルートなどの就職斡旋会社から会社情報の冊子を取り寄せ、その中に同封されている応募用紙やエントリーシートめいた用紙に内容を記入し、履歴書を添付して郵送するのである。

ああ懐かしい。

何せ全てが手作業だったため、作業工数もさることながら、一体世の中にはどのような会社があって、何をしているのかを調べることそのものにスキルがいる、と言っても過言ではない時代だった。

親がよほど理解があって大企業に勤めており、「就職するならどこどこに勤めた方がいいよ。」と教えてくれる人、または、大学にコネというコネを持っており(理系の場合は旧帝クラスだと研究室に就職口の割り当てがある)、優秀な先輩に恵まれていた人、そのようなメンターでもいない限り、正直な話「どの会社が良い(=ホワイト企業)のか」すらわからない時代なのだ。

ゆえに、世間知らずであった筆者はひたすら「自分の知っている知識・常識の範囲内のみ」で活動を始めることとなった。

悲惨である。

何せ「何も知らない」「何のコネもない」のだから。ましてや一緒に就職活動を共にする「同じ大学の友人」すらいない。普通に考えただけでも相当状況が悪いのに、ここに「就職超氷河期」である。

はっきり言おう。最初の頃、内定は全く取れなかった。

どのくらい取れなかったというと、当時の「就職活動初期終了」時期である、当時で言うところの6月半ばから終り頃。早い人であれば当時、ゴールデンウイークあけ頃には得ていたり、遅くとも5月末頃には落ち着いていた記憶がある。

とんでもない。まだ会社説明会に足しげく通っていた時期である。

しかしながら受からない。どうにもこうにも受からない。後から考えればそれは当然なのだが(あまりに筆者のスペックが低いため)。とにかく「どの会社がいいのか」すら、的が絞れない。

そうなると、応募は片っ端からいわゆる「あてずっぽう」である。「名前を知っている会社」「たまたま手に取った冊子」「面白そうだから」など、業界研究のぎょの字も無い。

それにしても、である。当時の会社説明会やOB訪問は酷かった。今はどうかわからないが、氷河期真っただ中である。会社によっては「会社説明会」すら実施していない。超がつく大手の会社説明会に行こうものなら会場に何千人である。合格枠はわずか30名程度、などもザラ。

行ってみて後でわかったことだがあれは単なる企業PRである。さらさら「優秀な学生を採用するための説明会」でも何でもなかった。

因みに、当時説明会を多く開催していた会社はいわゆる「サービス産業」が多かった。これも当時知らなかったが、ようは離職率の高い会社ほど、必死に説明会を実施していた。それでも学生は結構多い時代であったので、企業としては「選び放題」である。前述した通り、大学生の就職率が6割程度なのだ。では、説明会やOB訪問はどんな感じだったのか?当時の状況、そして筆者の結末については次回のブログに記録しよう。

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